責任転嫁に適した青い星。地球。

最近私が深くお勉強していることは、

責任逃れ。責任転嫁。無責任。自己正当化。自己擁護、保身。

そのあたり。

なぜみんなそんなに責任を負うのが嫌なのか?

なぜそんなに自分を守ろうとするのか?

私にはよくわからないけど、何かしらの恐怖があるからなんだろうなあ。

 

地球の営みは、相互作用で成り立っているので、責任の所在が明確ではない。

それが基本。

なので、何かのせいにしようと思えばどれだけでもできる。

責任転嫁に最適な星なのよね。

人間でいえば、生まれることからしてそうなんだ。

産んだのは母親、生まれたのは子供。

どっちの責任??

食べ物を食べて具合が悪くなったら、食べた自分よりも食べ物のせい。にできる。

食べたのは自分なのにね。

あなたが言ったから。

こういう決まりだから。

あなたのせいで。あの人のせいで。

 

自分の人生とそれによる選択に責任を持ってしまった方が楽だと私は思うんだけど、なぜかそれを選ばない人が多い。

不思議なくらい、みんなそこから逃れようとする。

 

私は少し前まで、自由というものは責任を伴うものだと思っていたんだけれど、ここにきて、無責任を自由とする感覚の人がいるということがやっと理解できた。

ということで、自由というものは何なのか?昨日思いめぐらせてみた。

そうすると、私の中にあったはずの、自由は責任を伴うもの。という信念が消えていたことに気づいた。

自由はまさしくフリーワードなので、それぞれの感覚によるそれぞれの答えでしかないんだろうな。と思った。

何らかの制限や縛りがなくなったり、緩和されることで、自由になった!という感覚が多いのではないかな~。

前よりお金を自由に使える。とか、自由な時間が増えた。とか。

そしてその中に責任から解放!というのもあるのだろう。

 

でも、何のしがらみも、縛りも、とらわれも、苦しみも一切ない状態が一番の自由なんだろうな。とは思う。

そして、地球上の人間をやっている限り、肉体がある状態で、完全なる自由を体験するのは不可能な気がする。

 

自分のことは自分で選択し、その選択と言動に責任を持つ。それが自由に生きる。ということ。というのが少し前までの私の感覚であった。んだと思う(もうなくなって忘れてる)

自由はさておき、私の今の目指すところは、立つ鳥跡を濁さず。なり。

どこまで自己完結できるか?可能な限りの努力をする。

それに向けて、リリーシングに勤しむのだ!ただひたすらに。

 

私が家で飼っている3匹のメス猫、それぞれの貰い手を探しています。

2017年生まれのもうすぐ8歳(熟猫ね)

避妊済み。謝礼付き。

ぜひぜひよろしくおねがいしま~す!