必要性が不要であれば

「おためごかし」という言葉を、先日初めて知った。

→いかにも相手のためを思っているかのように見せかけておきながら、自分の利益のため。

実は自分本位であること。

らしい。

ふむ。

人のためと言いながら、本当は自分のため。というやつね。

それを表す言葉があったのねえ。

ところで、一体なぜ、そのような回りくどいことを人はわざわざするのか?

自分のためだよ~!で済まないのか?

まったくもってややこしい。

 

人のためにすることはいいことだ。という刷り込みや錯覚があるからなんだろうけれど、そもそもなぜ、人のためはいいことだ。という刷り込みや錯覚が必要なのか?

ちょっと思いを馳せてみた。

自分のためは悪、他人のためは善。という善悪。

それもある。

つぎつぎと、あ~だからこ~だから、なるほどなるほど。

と、その奥の要因が見えてくる。でもありすぎで、派生し広がるのでまとまらない。

 

自分本位という体験をしている人は、本当に、周りが見えず、自分さえよければいい。

という感覚なんだろうな。

相手のため。という口実があれば、やってることを正当化できるってことなんだな。

 

なんだけどさ、

そもそも、自分のためであろうが、誰かのためであろうが、ダメージを与えたり、苦しめたりしなければいいわけだ。

そしたら、わざわざ回りくどく、あなたのためよ~。とかお前のためだ!とおためごかす必要もない。

あ~あ~おためごかす必要性がある人間って、なんなんだろな~。

 

戒めの必要性、善悪という区分の必要性、罪悪感の必要性、教育の必要性、ルールの必要性、お金の必要性。

いっぱいいっぱい。

誰かを苦しめなくなるためのものたちの必要性。

が要らない(他人を苦しめずに済む)生き物にはなれないもんかねえ。

 

リリーシングを受けてくれてるみなさんには、自分のためのことは、自分のためだよん。と言えるシンプルさんになってもらいた~い。

私のために、よろしくね!(笑)

 

小さい白っぽい灰色の蝶が入ってきていた。

↓どこにいるかな?