たまにひょこっとリリを受けに来てくれる80代の女性がいる。
彼女の家はラーメン屋さん。
現役で働いているのだが、とてもつらそうだ。
やめられないから働いている。いつも不満を漏らしている。
少し前、連休明け頃来てくださった。
連休中、とても忙しかったらしい。子連れの家族のお客さんが多く、彼女にとってはそれがやかましくて不快だったようだ。
彼女は腹を立てていた。
子供のご飯くらいちゃちゃっと作ればいいのに!と。
相当お疲れなんだなあ。働かなければならない世界から早く解放されたらいいな。
と思った。
直接攻撃を受けたわけではないであろうに、彼女は自らお客さんの被害者となっていたのだ。
疲労や肉体のつらさは、苛立ち、怒りと化し、棘や矛を作っていく。
そして何か外側のものが悪者に見えてくる現象だ。
怒りをその場で発散するパターンと、押し込めるパターンがある。
押し込めた場合、その苛立ちや怒りは、全く違うところで全く関係のないものに矛先を向けることもある。発散せずに自分を攻撃することもあるだろう。
そういう現象は当たり前によく起こる。
自分から発生する苛立ち。人間はそれを消し去る能力が著しく低い。
そして、自分が生み出している。ということに気付く能力も低い。
苦しみが生み出されるシステムを持つこの地球が、私はやっぱり嫌いだ。
別の話になるけれど、前回のブログに書いた、六道の中の
天道(喜び楽しみはあるが長続きしない世界)について。
これは、人間界そのものの話だと思うんだ。
喜び楽しみが長続きしない。ということは、割合が少ない。ということである。
苦しみが長続きしやすい、苦しみ寄りの世界だということ。
平穏無事で、何もない世界は、物足りなくてつまらなさを感じやすい。
何事もないフラットでど真ん中、スタンダードな状態=苦しみ。ということ。
そこが逆転したら、かなり楽な世界なんじゃないか?とさっき思った。
フラット=楽しい。になってしまえばね。
ということで、遠隔中のみなさまへ
喜び楽しみが長続きしない世界とその体験、苦しみベースの世界を捨てる。を追加させていただのだ。
私は、棘と矛になりそうな、角をまあるくまあるく削ってく。
ふにゃっとまあるくいかないか~い?