慢性的なものたち

慢性的な世界っていうのは、当たり前。ということ。

私の場合、骨の歪みがある。

それが時々頭痛になって表れていたんだな。

昔は、骨がこんなに歪んでいるなんて知らなかったし、思いもよらないことだった。

表面に現れる、「頭痛」という現象だけしか捉えることはできなかった。

そうなると

慢性的なものは「頭痛」という認識になる。

でも、今の私の感覚は

慢性的なものは「骨の歪み」であり、「頭痛」はそれに伴う「症状や現象」なんだ。

骨の歪みの原因なんてわからない。

ホントの答えは見えない奥の奥の奥に潜んでいたりするんだわよ~。

 

ちょうど、出生時についての本を読む機会があり、とても腑に落ちることが沢山あって面白かった~!

みんなが体験し、忘れている出生体験。

それはとても個人的なことである。

どんなことを体験したのじゃろね~。

 

その時のダメージを捨てる遠隔を皆様に追加しておいたのです。

 

わたくし、胎児期の骨の成分の分裂に失敗しちゃったのかもな~。と思い、

胎児期の失敗。を捨ててみた。

娘が幼いころ、生まれてくるときの記憶を尋ねてみたことがあった。それを思い出した。

私の記憶では「お兄ちゃんの声がして、明るい(と言ったか、光と言ったか)の方向に進んでいった。

と答えたのだった。

読んだ本には、生き方が、出生時の体験と繋がっている。という記述もあった。

彼女は自分の選択に迷いがない。それは、生まれてくる時からそうだったのね。

と、また納得。

彼女の出産は助産院だった。息子は、彼女が出てくるところを、私のお股側からずっと見ていた。

「頭が出てきた!」なんて叫んでいたんだわ。

 

生まれてからだろうが、生まれる前からだろうが、体験した恐怖やダメージは、当たり前に慢性化して存在していく。

そいつらを捨てて、繰り返す世界から脱出しようじゃあないか~!

当たり前。に支配されない人生を。