やっぱり違う、ただそれだけだ。

2月にいただいた植物が、のびてのびて花咲いた。

私は植物を育てることを得意としない。

だからこの子も枯れるだろうな。くださったのに、ごめんよ。と思った。

だがこの植物はたくましかった。やるねえ。

リリ小屋の入り口に置き、たま~にリリ水を注ぐ。

 

意識が変わってきた。どんどんどんどん。

私は、自分がなりたかった意識に近づけている自分が嬉しい。

謙虚さの欠如、寛容性と寛大さの欠如を捨てた。

まだ微妙に残っていたものたちが消えていく。

 

きっと大方の人間が、自分にとって都合のいい現実を求める。

そしてそのために周りを変えようとする働きがある。

でも、人はすべて違う。人間という種として一緒でも、全員が異常なのだ。

勝ち取りたい人は戦いを求め、穏やかでありたい人は平和な世界を求める。

それはただの違い。違いだから、どっちが良いとも悪いとも言えないもんだ。

 

きっかけはきっかけであって、答えは別のところにあることがたくさんある。

後から、なるほどね。とわかること。

 

私のその一つは、食べなくても生きていける体。

きっかけは、いろいろあった。

でも、経過するにつれて、見えてきたものは違った。

この体になって、今まで信じてきた世界がどんどん消えていく。

 

食す生物は、食べ物を自分に同化させる。

肉体とは全く異質なものを自分に変えているのだ。

その行為自体が、周りのものを自分に合わせること。なんだと思った。

だから、人間は周りを変えたくなるのかな?とも思える。

肉体を介した体験を人間は地上で行う。

ただそれだけをやり、死ぬ。

それは保身の仕方のさまざまな体験。とも言える。

 

本人がどんな意識でいようと、どんなものを得ようと、自分はすごいと思っていても、自分はダメだと思っていても、死んだら終わって消えるんだ。

 

先日思った。

人間は必ず死ぬ。必死なのに、必死になったりしちゃうんだよな。と。

どこまで課していくのだろう。

死ぬまでは、必死を捨ててもいいではないか~。

今日は晴れたよ、みちなしは。呑気にテケトーに草取りしたよ。