共通標準装備による複雑化
同じことがあるために、違うことが理解できなくなる
という人間の機能
が、さまざまな不具合や苦しみを生み出す。
是と非がある。
正しい、間違いがある。
よしあしがある。
という、かなりの率の人が持っている共通装備。
だがしかし。その中身、感覚と思考、心理的なものはみんなバラバラ。
Aさんはこれが正しい、常識だ。と思っていても、Bさんにはそれは正しくもなければ常識でもない。そんなことは、ざらにある。
そういう相違が起こると、不快感を生みやすい。
え!いやいや、それは違うでしょう~!信じられな~い!
なるほど。そうか、これは私にとって正しいと思っているだけのことなのね!人はそれぞれ違うのね!と、すんなり思えたら楽なんだけどね。
人間という見てくれはいっしょ。
言葉も通じる。
おかげで、違うと思えない。
とにかく、人間にはコトを複雑にさせる、不思議な、標準装備の機能が他にもたくさんついている。
言葉と概念もそうなんだ。
細分化された言葉は、とても似ているのだけど、違っているから違う言葉で表現される。
好きと肯定、嫌いと否定は似ているけどかなり違う。
自分を否定しまくっているからといって自分のことが嫌いとは限らない。
そこで、よく言われている、自分を愛しましょう。という言葉に惑わされ、自分を愛せていないんだ。という錯覚に陥り、深みにはまっていったりするんだ。
みんな違うから、それぞれに見合った答えを見つけないと、苦しみからは抜け出せない。
先日
青のりとあおさは別物と知った。
似ていて違う。値段も格段に違っていた。
どっちが高いは、どうでもいいんだ。
今、ここで売っているものはこっちが高い。でも違う時代や違う場所なら逆かもしれないんだ。
違うんだ。一概に言えないんだよ。色々と。
水晶5点、お預かりしてリリってる。
時間はかかるが、透明度が増してきた。
水晶だけどみな違う。同じだけど違うのよ。