堕落と健全

悪しき、良き、という判定を、人は持っている。

その基準は人によって違うだろう。

 

そして、何らかの理由や条件がつけば、悪しきことも良きことに変わったり、良きことも悪しきことに変わる。

 

ざっくりと、傾向としての例を挙げると、

自分でお金を稼ぎ、自立することは、良きこと。と判定する。

でも、そんな仕事はやめてほしい。なんて、なる。

やりたいことも、健全へ向かうなら良きこと、堕落へ向かうなら悪しきことになる。

人を好きになることは良きことと判定されるが、浮気や不倫は悪しきこととされる。

でも、そんな友達と付き合うのはやめてほしい。なんて、なる。

 

これならいいけど、これはダメ。

あくまでも、自分の基準の判定なんだ。

それは、かたよりと分離を体験していることになる。と私は理解した。

 

出来事への良し悪し判定が、人間の意識と肉体を、分離したり、かたよらせていくのだろうかな。そしてそれが地球上での人間体験なんだろうな。なんて思ったのであった。

中庸であるのは、良し悪しが全くない状態なんだ。

もともと肉体の内臓は、左右が違って、かたよりがある。

ってことは、人間が中庸でいることは不可能なのだろうか。

 でも、だから、人間はもともとかたより仕様なのか!と、納得。

 

かたよりと分離、堕落と健全という幻想、良いこと悪しきことという色付け、良心という錯覚。

錯覚と幻想の世界を捨てたくなったらなったら、なってしまったならば、みちなしへ。

 

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